過去にも何箇所か取り上げている眷村。軍人とその家族のために国が用意した集落で最盛期には900箇所以上ありました。
以前訪問した忠貞市場の近くにもあり、というよりむしろ眷村が先に出来その周囲に市場が成立したというのが正しい順序。名前も忠貞新村に由来します。
そんな忠貞新村には中心となる重要スポットがあり、そちらを中心に見学してきました。
早速忠貞新村の中心に来ました。一般的に眷村で見られる住居群は残っておらず、いくつかの建物がイベントスペースや商業スペースとして使われています



その真ん中にあり唯一「見る(あるいは知る)」施設となっているのがこちら。忠貞新村を構成する要素の8割はここにあると思います

中文タイトルが異域故事館、英文はLOST ARMY STORY HOUSE。異郷の地で人知れず奮闘し埋もれていった部隊のストーリーを紹介する施設です

自由見学はできず、定時ガイドに参加する必要があります。11時と13時は埋まりやすく事前予約必須なので、当日直接行く場合は10時か遅い時間を狙っていくと良いです。
私は早く行って10時の回に参加しました

元住人のボランティアガイドさんが説明してくれます

展示スペースはいくつかのエリアに分かれていて最初の部屋は当時の文物が展示されています


スパイ活動に使われたライター型カメラ

兵器はレプリカですが

足元に埋められている弾丸は本物でしょうか?(聞きそびれました)

次の部屋にあったのは現地での悲劇を表現したアート。怖いのは仲間との死別ではなく傷病者を見捨てていかなければならないことを表現しています

部隊が駐留していた地域の民族衣装などを紹介するコーナー

部隊が駐留していたのはゴールデントライアングルと呼ばれる中国・ラオス・ミャンマー・タイの国境が接するあたり。ここの食文化などが持ち込まれた忠貞市場には他所では見かけない食べ物があります

最後は「回」と題されたコーナーで、回とは帰還を意味しています。他国の部隊が自国内で活動することは当然良く思われず、国際社会に提訴されることになります。
蒋介石は撤収に応じつつも一部を残すことを繰り返し、兵士が自らの意思で残ったようにするなどの工作もしていました(実際は命令)。彼らには満足な支援もなく、自力で生存していくことを強いられました

帰ってこられた人たちは忠貞新村へ住むこととなり、現地に定住した人たちもいます

とても考えさせられる施設でしたが、意外なのは国営ではなく個人が私財を投じて運営しているということです。内容的に国が運営すべき内容であるように思いますので、何らかの支援はしてほしいところです
出たところは売店になっており、コーヒーなどが飲めるほかお土産を買うことができます。少しでも運営の足しになるよう私も少し買い物をしました


ある程度台湾慣れている人にはとても面白いお土産
