國家人權博物館は白色テロをテーマとした博物館です。景美園區・綠島園區の2館構成となっており、今回紹介するのは拘置所や裁判所が置かれていた景美園區の方になります。
白色テロとは一言で言えば政府による反体制派の弾圧で(白色は政府を象徴する色)、非常に多くの人が投獄・処刑されています。通常の台湾観光ではまず訪れることのない、台湾史の影の部分に光を当てたこの施設を今回は取り上げます。
博物館が所在するのは秀朗大橋の袂。景美と名がついていますが景美駅より大坪林駅からの方が近く、バスもそこから出ています
入ってすぐの部分は博物館として整備されるにあたって追加された部分。特にゲートなどはなく自由に出入り可能
飼われているのか2匹の猫氏がお出迎え。平和な光景そのものですがこの後にはとても重いものが控えています
入って右手にある台座には無数のネームプレートがはめ込まれています。これは処刑または行方不明となった方々の名前が刻まれたもの
手前側にあるこの建物は法廷。もちろん普通の裁判所ではなく軍事法廷で内容は大きく異なっていました
内部はこのようになっています。パット見は普通の小さな法廷ですが、明らかにおかしい箇所があります
その答えは検察官の位置。普通は弁護士の向かいにいますがここでは裁判官と同じテーブルについています。つまり同列の存在で両方とも軍人でした
裁判はあってないようなもので判決が出るまでの時間はごくわずか、まともに手続きも行われず訴状を見たことがない人もいたそうです
そして奥に控えているのがこの施設である拘置所。仁愛樓という名称はあまりにも皮肉。刑務所のようなそれらしい見た目をしていますが、元は軍法学校であったものを改装しています
建物は2階建てでかなり広く、複数の機関が使用していたためエリアごとに用途が異なり中身も違います。牢への入口は嘉義で見た旧監獄によく似ていました
まずは本題となる政治犯とみなされた人、特に男性が収容されたエリアから見ていきます。端にある監視台から見た様子
部屋ごとに大きさは異なり、少人数部屋の入口はこのような感じ
一部の部屋にはこのように衝撃吸収材が取り付けられていますが、これは壁を叩く収容者への対策として後年行われた改造
こちらは大部屋ですが、何人収容されていたかわかりますでしょうか。答えは30人で一度に寝ることすらできなかったそうです
食事を差し入れるための穴。動物用のようだと当然批判の対象になっていました
その食事は車座になって食べていたとのこと
2階北側は女性が収容されていたエリア。基本的な造りは同じですが、洗面台・トイレが高い位置にあります
毎日15分だけ出ることができた屋外スペース。男女で扱いが異なっており、女性は対外アピールのための特別な人を除き出られなかったとのこと
廊下を通って南側へ
こちらは北側とはかなり様子が異なり通路・部屋とも広くなっています。これは非政治犯が収容されていたエリアで、扱いの差がはっきりとわかります
続いて牢以外のエリアへ。こちらは医務室で、収容者の中で医師免許を持った人が担当していました
ここには重要なものが展示されています。それは名簿で、当時政府は政治犯などいないと主張したため収容者名簿などは公開されていませんでした。それを患者リストという形で外部へ流し、諸外国に実態が知られるようになっていったのです
家族との接見室。直接会話はできず、両側に設置された電話機で会話する仕組みでしたが
当然隣の部屋で盗聴されていました
そのため手のひらに文字を書き、ガラスに押し付けて伝えるなどの方法を取ったそうです
売店。収容者は注文票を書き、あらかじめ家族などに支払ってもらったお金で必要な品を購入していました
洗濯場。作業は一部の収容者が担当しており、洗濯機などはないため左側に少し見える洗濯台で手洗い。右に並んでいる筒状のものは脱水マシン
外へ出てきました。旧兵舎は展示スペースになっており、一部にはカフェ兼売店が設置されています
オリジナルの記念品が色々ありますので参観記念に買っていくとよいかと思います。私は仁愛樓が刻まれた定規を購入しました
今回紹介した内容は施設の全体ではありません。定時ガイドの方が早口で喋って1時間以上かかっていましたので、全部をじっくり見たら2時間以上は必要かと思います。
基本的には台湾人向けの博物館と言えますが、外国人でも台湾の歴史を深く理解したい方には是非見学してほしい施設です